卒業記念アルバムより (キャンパス・教室・学寮)

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埼玉大学は旧制浦和高等学校(大正10年が起源の文科・理科からなる官立の旧制高等学校)、埼玉師範学校(明治6年が起源)、埼玉青年師範学校(大正11年が起源)の3校を統合して、昭和24年に新制国立大学として設立された。
現在では5学部(教養・教育・経済・理・工)、4大学院研究科(文化科学・教育学・経済科学・理工学)を有する総合大学となっているが、私たちが入学した昭和36年4月の頃は、文理学部・教育学部の2学部制で、文理学部の中に、人文科(35名)・経済科(55名)・理学科(55名)の3つに科が分かれ、その中の経済科55名が同期の仲間である。
学費は半期4,500円、年間で9,000円。それでも皆バイトして学費を捻出していた。
文理学部キャンパス
JR北浦和駅から徒歩数分という恵まれた立地条件の場所にあったが、卒業した年の昭和40年(1965年)に文理学部が教養学部、経済学部、理工学部に改組され、教育学部と共にキャンパスもJR北浦和駅よりバスで20分(?)かかるという大久保地区へ全面的に移転した。
文理学部正門
文理学部木造校舎:殆どが元兵舎が校舎であった
校舎の一つ 赤城山荘(埼大・群大・茨大・栃大共用)
蒼玄寮(男子学寮)
木造建物で建物は元兵隊宿舎だったとか。ガラス窓は割れ冬は寒い。風呂・洗濯機・冷蔵庫など勿論なし。殆どが8人部屋。悠元寮(女子寮)は教育学部の近くにあり、寮祭は一緒で催し楽しい交流の場となった。
洗濯物は見事な万国旗。真ん中の通路を境にして、左右4人づつ。各人が使えるスペースは畳2畳と2段の押し入れ。これ等の場所に個人の衣類・布団・机などを工夫して配置する。寝る時はカーテンで隣と仕切る人もいたが殆どが雑魚寝。独立した生活を望む学生は、民家の屋根裏部屋に下宿する者もいた。


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